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2018年7月 7日 (土)

50おとこ初めての東北旅行(太宰のふるさと編)

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 大阪伊丹空港を7時25分出発予定だった飛行機は約10分遅れでフライト。前日に発表された東北地方の週間天気予報では1週間ずっと雨rain 。降水確率は70%以上。晴天までは期待していなかったものの、雨は避けたいと願いつつ青森空港に到着すると曇cloudの間から僅かに青空が覗いており、レンタカーで五所川原市に入る頃には日差しが強くなり夏の暑さを思わせる晴天となりましたsun 。ヽ(´▽`)/

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「金木は、私の生れた町である。津軽平野のほぼ中央に位し、人口五、六千の、これといふ特徴もないが、どこやら都会ふうにちよつと気取つた町である。善く言へば、水のやうに淡泊であり、悪く言へば、底の浅い見栄坊の町といふ事になつてゐるやうである。」(太宰 治 著「津軽」より)

 学生時代に読み漁った太宰作品。青森県五所川原市金木町は太宰治の故郷です。訪れたのが月曜日の午前中という事もあり、極めて閑散としていました。しかし小説「津軽」でワタシに先入観が入ってしまっているのか、今なお少し都会を意識した感じの田舎町といった印象でした。上の写真はこの日に撮影した太宰の生家として有名な「斜陽館」ですが、太宰の息づかいを感じる場所「疎開の家(旧津島家新座敷)」を訪れてから「斜陽館」を見学するのが太宰ファン最近の王道コースのようなので先ずは「疎開の家」へ。ここで教えていただいた太宰の年譜などを交えながらレポートします。pen

<太宰治疎開の家(旧津島家新座敷)>

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 昭和20年7月に太宰が本土空爆から逃れるため疎開先の甲府から妻子を連れて生家のある金木町へ更に疎開しました。それから昭和21年11月に再び上京するまで居宅としたのが、この新座敷です。今は母屋(現在の斜陽館)から徒歩3分ほどの少し離れたところにありますが、元は母屋と隣接して渡り廊下でつながっていたそうです。戦後の農地改革で太宰の兄が母屋を売却した際に居宅として曳家したので斜陽館から少し離れた場所に移ったとのこと。

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「疎開の家」という名前ではありますが、生家の離れ座敷だったので太宰にとってはここも実家(この離れ座敷は太宰が13歳の時に増築されている)。素行が悪く義絶されて実家に帰れなくなっていた太宰でしたが、昭和17年に病に伏した母への見舞いを機に兄との軋轢が徐々に和らぎます。当時、母が病床に伏していたのが写真手前の襖絵がある和室です。その時の太宰の心情や状況は小説「故郷」に記されています。太宰の母はその年の暮れに亡くなりましたが母の見舞いをきっかけに義絶は解消し昭和20年の疎開へと繋がります。疎開時、書斎として使用していたのが写真奥の和室です。心身ともに少し安定した太宰はここに座って「パンドラの匣」や「トカトントン」などを執筆したそうです。

 
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 廊下を挟んだ洋室には太宰治16歳の時にこの洋室で撮影した写真が飾ってありました。備え付けソファの座部は傷んで穴が空いており、当時スプリングクッションなど無いのでクッションがわりに敷いた藁が入っているのが確認できます。疎開中は太宰を訪ねてきた文学青年達とこの洋室で語り合い、新作の『冬の花火』を朗読したりもしたそうです。
 この「疎開の家」は管理人さんが、太宰本人の年譜や疎開の家の事、それに関わる作品などについて生きた言葉で詳しく説明していただけるので、太宰の作品について更に深く読み直してみたくなります。金木町に行ったら先ずこの「疎開の家」に立ち寄ってから「斜陽館」に行くことをお勧めします。(* ̄0 ̄)ノ

<斜陽館>

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 続いての訪問先は「斜陽館」。

「斜陽館」は太宰治の父親である津島源右衛門が太宰が生まれる2年前の明治40年に建てた宅地680坪の大豪邸です。津島家は江戸の昔から代々続く大地主だったんだろうと勝手に想像していたのですが、意外とその歴史は浅く、太宰の曽祖父が金融業をはじめて父親の代あたりで急成長したようです。

「この父は、ひどく大きい家を建てた。風情も何も無い、ただ大きいのである。間数が三十ちかくもあるであろう。それも十畳二十畳という部屋が多い。おそろしく頑丈なつくりの家ではあるが、しかし、何の趣きも無い。」太宰 治 著「苦悩の年鑑」より)

 太宰は「苦悩の年鑑」でこの家を『大きいだけで風情も何もない』と評しています。それは訪問してみて確かにわかるような気がしました。建物や調度品が立派過ぎて威圧的で「弱さ」が見つからないため風情を感じられなかったのでは?と思います。新興地主という家業に対する太宰にとっての後ろめたさが、商売繁盛の「成果」としての大豪邸を素直に認めることができなかったように思います。逆に太宰がその成果をそのまま享受できる「長兄」という立場であれば何の葛藤もなく受け入れてしまったかもしれませんが、末っ子(第十子六男で姉が四人)であるが故の兄弟身分格差がいびつな葛藤を生んだのでは?とも推測できます。 ワタシは長男ですが、先祖から大豪邸や財産を残してもらった訳でなく、さりとて先祖の借金の肩代わりで苦労させられることもなく、凡庸に育てられ凡庸に生きている幸せをこの大豪邸「斜陽館」でつくづく感じるのでありました。think

とはいえ、「斜陽館」は太宰をより理解する上で貴重な場所です。この日も午前11時を過ぎるとバスツアーの観光客がたくさん来場していました。歴史的価値のある建築物でもありますので、太宰ファンならずとも押さえておきたいところです。

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 斜陽館の見学を終えたのは11時45分。ほぼ計画通りの時間で昼食です。ただ初日の昼食はノープラン。『青森はホタテが美味しいらしいよ』と妻が言うので、折角だから太宰の地元金木町の寿司屋「奴寿し」へ行ってみると暖簾が掛かっていました。 何年かぶりの「回らない」お寿司屋さんですっ(o^-^o)

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 エントランスは敷居が高い感じでしたが、入ってみると価格表のメニューもちゃんとあり「時価」では無くてひと安心。奮発して「上握り」だったか「特上握り」だったか(すでに遠い記憶で覚えていない。。)とにかく二千いくらか(これも曖昧。。)の握り寿司盛り合わせを頼んだのですが、トロに始まり鮑、赤貝、雲丹、いくら、ホタテ、数の子、カニなど新鮮な高級寿司ネタのオンパレード!(食べたネタだけはしっかり覚えている!:)カウンター席だったので主人が対面で握って出してくれる寿司を写真撮影する間も無く美味しくいただきました!。スープがわりの小うどんも付くので満腹、コスパ最高! 愛想は都会の店ほどよろしくないけれど No Problem !

夫婦揃って大満足で次の目的地「酸ヶ湯温泉」へ向かうのでありました〜

(次回「青森の秘湯編」へ続く。。はず)

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コメント

青森・・・太宰・・・・
そういえば 青森県は 担当だったけれど
途中からだったので 恐山に2回くらい
登っただけだったなぁ?
って 八戸でフェリーを降りると
速攻岩手県へ走っていたもんなぁ
と 太宰リストではないわたしは・・・
寿司 コスパいいねぇ・・としか
相槌打てないんだもーん

今にして思うのですが
当時 太宰や
時代は違いますが
大江健三郎なんかに
傾倒する
親友クラスの友人が周りに
ケッコウおりましたが
何故・・感化されなかったのか
不思議に思える アラカーン
ですから。

高忠さん、

太宰治ってかなり評価が分かれる
作家だと思うんですけど
好き嫌いは共感できる部分が
あるかどうかでしょうね。

インテリなのにバカで
反骨精神があるのに弱くって
根は善なのに露悪的で
暗い性格なのに明るい

そんなところかなぁ〜

寿司、最高でしたよ〜(*^-^)v

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