宇陀秋山城(松山城)の城跡は戦国時代と今をつなぐ
このブログでも何度か登場するワタシのお気に入りの町「宇陀松山」
この町は、領主秋山氏が築いた山城「秋山城」の城下町が起源だそうです。秋山城は1585年に秋山氏が追放された後、豊臣家配下の大名により大改修が行われ(この頃から松山城と呼ばれるようになったらしい)、関ヶ原の合戦後に入城した福島高晴がさらに城を大きくしました。高晴は大坂夏の陣で豊臣方に内通していたという嫌疑で職を解かれ、その時にお城も壊されて廃城となりました。しかし城下町はその後、織田家が統治することになった宇陀松山藩の陣屋町として栄え、「宇陀崩れ」による松山藩廃藩後も天領として「宇陀千軒」と呼ばれる程の活況を呈したそうで、現在も古民家がその風情を残しています。
かく言うワタクシ。宇陀松山へはサイクリングでよく出かけ、押しも押されもせぬ宇陀松山フリークのつもりでしたが、秋山城址には行ったことがありません。(^-^;
思い立ったが日曜快晴吉日!。(* ̄0 ̄)ノ
先週の日曜日、MTBで大宇陀へサイクリングに行った際、秋山城址を訪ねてみることにしました。
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思い立ったが日曜快晴吉日!。(* ̄0 ̄)ノ
先週の日曜日、MTBで大宇陀へサイクリングに行った際、秋山城址を訪ねてみることにしました。
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宇陀松山の西口関門(通称「黒門」)。城下町の出入り口として400年ほど前の福島氏統治時代に建てられた門です。ここは、町の中心部に有りますのでワタシもよくMTBで通ります。
初めて訪れた春日神社。宇陀秋山城の鎮守として城廓の一部をなす位置づけのようです。本殿の手前の細い脇道から秋山城址に登るようになっており、私は春日神社の手前にMTBを置いてから徒歩で城跡を目指すことにしました。
春日神社の手水舎(ちょうずや)横には「秋山城に通じる抜け穴」と言い伝えのある穴が空いていますが、真偽のほどは定かではありません。城址への案内石碑の横には杖置きがありました。
ん? 杖?? 険しいのかなあ??? と、少し不安に。。
不安的中w(゚o゚)w。散歩気分で来たんだけど、こりゃ杖も要るわなあ〜と思いながらひたすらゴールを目指す。
かなり登ったところで工事のブルーシート発見。そういえば、廃城になって取り壊された際に埋められた遺構を、近年発掘する作業が始まったと聞いたことがあるので、このあたりもお城の敷地の一部だったのでしょう。
木立の中の細い道を歩くこと数十分程でようやく青空が見えてきました。このあたりになると道というよりも溝を歩いている感じ。城へ侵入するものを攻撃する為の先人の知恵だそうで、山上に天守閣を構える城への道はこのようになっているところが多いようです。
石垣らしきものが見えてきましたが、かなり草が生い茂っています。城跡ファンの人にはこの石垣がたまらないそうです。この後、くねくねとした道や石段を登ってようやく頂上の天守台跡に到着します。
頂上から南側の吉野方面を見下ろす景色です。右側奥に見えるのはたぶん烏ノ塒屋山(からすのとややま)でしょう。地元では宇陀富士と呼ばれている八咫烏伝説に由来する山です。
こちらは天守台から北側の榛原方面を見た風景です。ここからワタシの住む町も望めます。
広い本丸の敷地を撮影しました。けっこう大きなお城だったようです。見晴らしも良く鳥見山や額井岳が遠くに見えます。城址を可能な限り復元して、登山道をもう少し整備すれば、ハイキングコースとして立派な観光資源になると思うのですが、この日は一人のハイカーにも会わず、下山するまでワタシひとりで結構不安でした。
(゚ー゚;
。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚。。+゚゚
秋山城は戦国時代の歴史に翻弄された印象がありますが、秋山城があったおかげで宇陀松山は町となり、江戸時代から大正時代の建築物が当時の風情と共に今に残されています。下山後、再びMTBに乗って宇陀松山の古民家前を走ると、ワタシの中で「戦国時代」が「今」としっかりと繋がりました。
学生時代から歴史は苦手な方なんですが、こうやって体験的に追ってゆくと結構面白いなあと五十路半ばででようやく気付くワタシでありました。
(^-^;
初めて訪れた春日神社。宇陀秋山城の鎮守として城廓の一部をなす位置づけのようです。本殿の手前の細い脇道から秋山城址に登るようになっており、私は春日神社の手前にMTBを置いてから徒歩で城跡を目指すことにしました。
春日神社の手水舎(ちょうずや)横には「秋山城に通じる抜け穴」と言い伝えのある穴が空いていますが、真偽のほどは定かではありません。城址への案内石碑の横には杖置きがありました。
ん? 杖?? 険しいのかなあ??? と、少し不安に。。
不安的中w(゚o゚)w。散歩気分で来たんだけど、こりゃ杖も要るわなあ〜と思いながらひたすらゴールを目指す。
かなり登ったところで工事のブルーシート発見。そういえば、廃城になって取り壊された際に埋められた遺構を、近年発掘する作業が始まったと聞いたことがあるので、このあたりもお城の敷地の一部だったのでしょう。
木立の中の細い道を歩くこと数十分程でようやく青空が見えてきました。このあたりになると道というよりも溝を歩いている感じ。城へ侵入するものを攻撃する為の先人の知恵だそうで、山上に天守閣を構える城への道はこのようになっているところが多いようです。
石垣らしきものが見えてきましたが、かなり草が生い茂っています。城跡ファンの人にはこの石垣がたまらないそうです。この後、くねくねとした道や石段を登ってようやく頂上の天守台跡に到着します。
頂上から南側の吉野方面を見下ろす景色です。右側奥に見えるのはたぶん烏ノ塒屋山(からすのとややま)でしょう。地元では宇陀富士と呼ばれている八咫烏伝説に由来する山です。
こちらは天守台から北側の榛原方面を見た風景です。ここからワタシの住む町も望めます。
広い本丸の敷地を撮影しました。けっこう大きなお城だったようです。見晴らしも良く鳥見山や額井岳が遠くに見えます。城址を可能な限り復元して、登山道をもう少し整備すれば、ハイキングコースとして立派な観光資源になると思うのですが、この日は一人のハイカーにも会わず、下山するまでワタシひとりで結構不安でした。
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秋山城は戦国時代の歴史に翻弄された印象がありますが、秋山城があったおかげで宇陀松山は町となり、江戸時代から大正時代の建築物が当時の風情と共に今に残されています。下山後、再びMTBに乗って宇陀松山の古民家前を走ると、ワタシの中で「戦国時代」が「今」としっかりと繋がりました。
学生時代から歴史は苦手な方なんですが、こうやって体験的に追ってゆくと結構面白いなあと五十路半ばででようやく気付くワタシでありました。
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そう!そういう歴史に
あこがれるワタシなんですねぇ…
われら北海道には
続いてきた歴史が
ございませんので・・・
羨ましいばっかりらしい
\(//∇//)\
投稿: └|∵|┐高忠┌|∵|┘ | 2015年5月31日 (日) 12時09分
高忠さん
歴史に疎いワタシなんですが
つながる感じといいますか、何というかなあ、
この感じ。
この地に引っ越してきて良かったなあと
20年以上経った今、
しみじみと感じております。(*^-^)
投稿: うだよろし | 2015年5月31日 (日) 21時28分
おはようございます
涼しそうですね
そしてなによりも新緑に心が和みますね
投稿: くるたんパパ | 2015年6月 1日 (月) 08時22分
くるたんパパさん、
山中湖ロードレースは、激闘だったようですね。お疲れ様でした。そして、完走おめでとうございます。(^_^)v
こちらの秋山城址は、標高470m程のところに在るので、涼しくて気持ちよかったです。この時期の新緑は、青空に映えてとても綺麗ですよ。♪( ´▽`)
投稿: うだよろし | 2015年6月 1日 (月) 21時06分